木造釈迦如来坐像
三津小学校から立花方面を通り自宅に向かっている時、偶然「県指定重要文化財」である「釈迦如来坐像」の看板に遭遇しました。
これも何かのご縁と思い、勇んで山を登っていきました。
三津小学校から立花方面を通り自宅に向かっている時、偶然「県指定重要文化財」である「釈迦如来坐像」の看板に遭遇しました。
これも何かのご縁と思い、勇んで山を登っていきました。
トンカラリンの場所の近くに、史跡の「拝み岩」があると書かれていたので、山手に向かいあぜ道をどんどん進んで行きました。しかしなかなか見つからず、あきらめて帰ろうとしていたところ、ススキの中に埋もれるように存在する「拝み岩」をやっと見つけました。
「安芸津は万葉の昔から古い港として栄えていたところであるのに、文化財と称するものが存在しないのはどうしたわけであろうか。」という疑問を解明するために誕生したのが、「安芸津郷土史を語る会」です。昭和44年に発足し、昭和49年には安芸津町に文化財保護委員会を設立しています。
昭和61年6月までに指定された文化財は、県指定のもの3件、町指定のもの9件と書かれています。
「目で見る安芸津町の文化財」安芸津郷土史を語る会 1986.8 より。
上の表紙写真は、信曽の「拝み岩」です。
大変お待たせしました。やっと「トンカラリン(信曽・石のくら)」に行って来ました。
謎のとんねる「トンカラリン」は昭和51年6月、安芸津郷土史を語る会により発見されたそうです。その当時はみかん畑の中で見つかったようですが、今回訪れた時は杉の木立の中に隠れるようにありました。未だに一体誰が何時、何のために造ったのかわかっていない。そこを訪れて、実際に穴の中をくぐってみたけれど、ますます疑問に思います。
安芸津郷土史を語る会の資料参考
何気なく通り過ごしていた浄福寺の石垣にも、大変な歴史が刻まれていました。
ここの石垣は、築造年代が三期に大別でき、それぞれ各時代の石垣の特色をよく現していると書かれています。
東広島市指定重要文化財(1997年)
文治元(1185)年、壇ノ浦の戦いで破れた藤原景清(平景清)は、源平の戦いで死亡した一族の霊を弔うため、大田宇井坂峠に地蔵堂を建てました。
首なし地蔵はこの地蔵堂に祭られています。
毎年お正月には三津の蓮光寺にお参りします。これまではあまり気にもしなかったのですが、蓮光寺本堂の前にある大イチョウの木がその凄いものです。推定では、植えられてから約340年くらい経過しているようで、本堂の屋根の高さを軽く越えています。