安芸津にもありました
韓国ドラマでも出てくるようですが、安芸津にもハート島がありました。
潮が引くともっと雰囲気が出るのだろうなあ・・・
韓国ドラマでも出てくるようですが、安芸津にもハート島がありました。
潮が引くともっと雰囲気が出るのだろうなあ・・・
万葉集には、736(天平8)年に新羅へ派遣される大使安部継麿、副史大判三中ら一行が、風早の浦で船泊まりをした時に詠んだ歌が二首残っています。
それは、旅に出る時に妻から贈られた別れの嘆きを詠んだ歌を思いうかべて、夫が詠んだという歌だそうです。
祝詞山八幡神社境内には、風早の浦で詠まれた歌を刻んだ万葉歌碑と、その歌をイメージして建てられた万葉陶壁があります。
知的障害者小規模通所授産施設つばさは、さまざまな事業をやっています。その中でも、リサイクル事業としてのアルミ缶回収は、安芸津町民に広く理解され、協力を得ています。
町の中に応援箱を見つけました。
安芸津町の中の風早東集会所では、毎週火曜日20名くらいの高齢者が集まり、歌を歌ったり、体操をしたり、食事をしたりと、楽しい時間を過ごしています。
今日はこの集会所で開催された、2006年クリスマス会に参加してきました。
今回は応援者さん達も含めると、総勢34名の参加でした。
安芸津の町も他の町に負けないよう、あちこちで頑張っています。
安芸津の福祉は最高です。その中心になっているのが、東広島市社会福祉協議会安芸津支所だろうと思います。地域にしっかり根を下ろし、地域住民の中に「社協」の名前でしっかり浸透しています。
今日は「安芸津の医療」について少し書きたいと思います。
今年の9月までは、県立安芸津病院と3軒の開業医でどうにか頑張ってきました。
開業医の仕事は日常の診療以外に、往診・学校医・産業医・介護保険の審査員・その他雑用があり、3軒の開業医では到底無理なため、県立安芸津病院の先生方の協力によりこれらの仕事をどうにかこなしてきました。
10月に入り内科の小野先生が開業してくださったので、これで開業医がどうにか4軒になりました。
まだまだ問題はありますが、安芸津の医療もやや充実してきた気がします。
安芸津町では、毎月のようにさまざまな催しがあります。このメタセコイヤ文化祭では、風早小学校の校庭に植えられているメタセコイヤの木をイルミネーションで飾ってあり、また、屋内運動場には生徒さん達の作品や地域の人達の沢山の作品を展示してありました。
12月16日(土曜日)劇団あらむ2006冬公演「月とランデヴー」を観てきました。
12月15日金曜日、社会福祉協議会安芸津支所主催のクリスマス会に参加して来ました。ボランティアさん達を含めると総勢約200名の参加ということで、広い部屋も狭く感じるほどでした。
父が亡くなって早6年が過ぎようとしています。高校卒業後関東地方で約30年間過ごした私は、父の体力が低下した約7年前にこの安芸津に戻ってきました。帰ってきた当初は都会が懐かしく、東京に行く度に生き返るようでした。しかし、最近やっと安芸津町の住民に近づいた気がします