文政二年(1819年)の「風早風土記」の中に左義長(とんど)の文字を見つけました。その箇所を抜粋します。
「正月十五日
三ケ日より神々へ供へたる餅、並に元日に汲み置く若水にて粥を炊く事旧例也、社寺へ詣り此日は「もち」とて家内休む、左義長の式は無御座候得共小児打寄り小き竹を裁き爆竹の真似を仕候」
「とんどの式はございませんが・・・」と書かれているようですが、今から188年前の風早にすでにとんどの慣習があったと考えると、なんだかすごい事だなあと思ってしまいました。
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文政二年(1819年)の「風早風土記」の中に左義長(とんど)の文字を見つけました。その箇所を抜粋します。
「正月十五日
三ケ日より神々へ供へたる餅、並に元日に汲み置く若水にて粥を炊く事旧例也、社寺へ詣り此日は「もち」とて家内休む、左義長の式は無御座候得共小児打寄り小き竹を裁き爆竹の真似を仕候」
「とんどの式はございませんが・・・」と書かれているようですが、今から188年前の風早にすでにとんどの慣習があったと考えると、なんだかすごい事だなあと思ってしまいました。
私の集落のとんどが一番だと思います。この日曜日25日に焼くのでそれまでによかったら見に来てください。
日曜日は餅まきもありますよ。
拾いに来てください。
是非見に行きたいのですが、残念ながら日曜日には行けません。おもち1個よろしくお願いします。