インターネットで調べていると、5月2日(水)付けの新聞に「ホボロ島」のことが載っていました。
記事の内容は同じでしたが、産経新聞・山陽新聞・四国新聞社・西日本新聞・東奥日報・東京中日スポーツ、おまけに「2チャンネル」ではいろいろな事が書いてありました。
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記事によると、無人島「ホボロ島」が、岩に穴を開けてすむ「ナナツバコツブムシ」という体長約1センチの虫により侵食され、”消滅”の危機にあることが、沖村雄二広島大名誉教授(地質学)の調査で分かったというものです。
新聞からの写真ですが、上が1960年前後、下が現在と書いてありました。
ホボロ島は、安芸津湾の東海岸にあり、保々路島・朧島とも呼ばれています。
1725年の時点での外周は364メートル、1825年には220メートルと記録されています。1883年(明治16年)3月、2つにさけて崩れたのちより急速にとげとげしくなり、現在では東西約90メートルの細長い形に変化してしまったようです。
確実に消えていく島、安芸津の町がそうならないように、頑張りましょう。
ほぼろをうるという言葉と、ホボロ島のホボロとは何か関係があるのでしょうか?昔は松の木も4,5本はあり、緑があった感じですが今は岩場が少しで侵食されていますね。”あいのしま””愛の島”も安芸津にはありますね。”花はな”とても印象に残りました。道で会う人も今でも、とても感動したと言ってもらって、大変嬉しいです。先生やデイケアなんかいを大変自慢に思います。
トパーズさん、嬉しいお言葉をありがとうございます。これからも頑張ります。
「ほぼろを売る」の意味は、嫁が嫁家を出て実家に帰る事をいい、「ホボロ」とは、丸い小さな竹篭の事を言うそうです。この島に関して不幸な運命を嘆く伝説があり、そこにこの名前の由来が書いてあります。この伝説については、阪田泰正先生が書かれた「安芸津の伝説ホボロ島」に詳しく書かれています。
昭和39年頃は、まだ両方の小山に松が残っていたようですね。
ありがとうございます。伝説のホボロ島を借りて読んでみます。
あと三十年生きれるとしたら・・・「完全になくなったホボロ島の話」をするでしょう。良い資料をありがとうございました。